前回の続きになりますが、
今回の話のキーワードは「愛情」
知っている人は知っているかも知れないが、
私は平成生まれなので、ゆとりと言われる世代のはずが、ゆとりで育ってきていない。
昔の話を先にしよう。
私の上には、義理の兄と姉が三人、下には義理の弟と妹が二人、母は今ではバツ3だ
私が物心がついたときにはシングルマザーで育ててくれた。
私は幼少期から母に笑って欲しくて、母が教えてくれたぺんぺん草を探し、家の隣の空き地にぺんぺん草を取りに行って、怪我をして帰って心配させたこともあった。
気がつくと父親的な人と一緒に暮らすことになり、この人はパパじゃないのはわかっていた、なので「パパさん」と呼ぶことにした。
その後に気がついたら、弟と妹ができた。
もうその頃には私は転校した時期でもあったので不登校になり始めていた。
家にいると母は下の子のことで大変で、話もしづらくなり、家で孤立するようになり、誰もいないといつも思っていた。
「働かざる者食うべからず」だの「学校も仕事もなんもしないやつに飯はない」とか
当たり前だった。
家にある物を食べると、物が減った事に気が付かれるとまた責められるから、いろんな調味料を口にしたりした。
家に居場所がなくて、当時の彼の家に行くが、その後児童相談所へ。
そんな環境だった。
母は昔自分でも言ってたことがある。
「母のように父のように」と
だから、私には厳しいかった
母が思うことも今ならわかるが…
今までも、今も、足枷となっていることがある。
「愛情が感じにくい」
「承認欲求が強い」
「営みが一番の愛」
とね。
振り返れば「あれは愛情だったんだ」と思えることはできるが、
瞬間的に何か言われたり、されたりでの、愛情は感じることはできない。
そして、
実家とくに言われたことがあるのは、言葉遣いとその姿勢だった。
「人の話は目を見て」
「謝罪と感謝」
そしてその後の「今度からどうするか」
怒られてる時は正座が、体育座り
涙流しても自分から「ごめんなさい。もうこーはしません気をつけます」
と言い
「もういい」
という合図がないと、終わらない。逃げちゃダメだった。
ちなみに、義父(パパさん)は
雰囲気や空気感でのバロメーターがあって、
うるさかったり、わいわいしすぎると、でっかいおもちゃ箱がぶっ飛んでくることも、車の中だと急ブレーキをすることもあった。
なので人一倍、雰囲気、顔色、様子を見る人間になってしまった。
そうゆうのを感じれないよりいいと思う人もいるかも知れないけど、
これらのせいで、私は言葉に敏感になり、話を聞く姿勢に不快になることがある。
パートナーに対してもそれで言い合いになったり、理解力の話になったりする。
こればかりはすぐなんとかしようと思ってできることでもない。
一生の課題なのかも知れない。
そして、
昔、実家にいた時、孤立していた時、
一人で悩み、苦痛になっていたこと。
「自分は必要とされてるのか」
「愛されてるのか」
「自分は必要とされてない」
「自分なんかいなくてもいいんだ」
当時よく聞いていた曲
「私の命は二人の愛の証 そこには一つだって嘘はないでしょ そうでしょ?そうだと言ってよ。二人に愛はもう無いというなら 私の命は全て嘘にかわり…時に嘘つかせないで」
私が本当の父と母に聞きたいことだ。
実父は「子供のために」と言ってパチンコに行ったり、母の名前で勝手に借金を作ってくる人だ。
きっと母のことだから何度も話し合いも言い合いもしただろう。
そして、つい先日に、母にぶっちゃけ聞いてみた。
「今私に(自分に)めちゃ迷惑かかってるけどさ、あんな奴の何がよかったの?」
私は覚悟して聞いた
待っていたのは予想してた言葉だった。
「いや〜。あの時はさ、その前の人との離婚があったからさ、色々落ちてたのよ(モチベーションや気分・自己肯定感等が)」
「そんな感じだったから、あんなノーテンキなのが良かったのかも」
と
やっぱりな
と思うよね
なんか元々ダメージ受けてた心の傷に塩って感じ。
わかっていた。
予想もしていた。
覚悟もしていた。
なんなんだろうね
このモヤモヤと今までの恨みつらみ。
今までの話を見たらわかるかも知れないけど。
自分でも言える。
愛情の感じ方が異常。
感じにくい。
疑ってしまう。
言葉・態度に敏感。
こんな自分が嫌になる。
だから、パートナーからの愛情の確認も余計にしてしまう
私はこんなんだから『家族』って理想が高いんだろうな…と実感する。
以上
私の小言でした。